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札幌タイドットコム: タイの山岳からの手紙

  北広島からタイの山岳民族へ 
オボウジャー。ナー ツゥー カオリ。オボウジャー。。

                         


Text: murata kaori (24才、北広島、北海道)
Picture: Sapporo Thai.com


オボウジャー。ナー ツゥー カオリ。オボウジャー。
ウドゥタマ。カオリ レークーウメー。グロフマ。
サワディカー。チャン チュー カオリ カー。コップンカー。
こんにちは。私の名前はかおりです。ありがとう。
1、ラフ語
2、アカ語、
3、タイ語
4、日本語 です。
ラフ語とは・・・ラフ族の言葉です。ありがたいことに「こんにちは」と「ありがとう」が同じなのですぐに覚えられました。何度も山を登って行った私の大好きなラフ族の村。

タイ最後の夜はこの村で過ごしました。タイ最後の朝はこの村で目覚めました・・・というかおなかが痛くて・・・朝4時にトイレに行き、朝5時にトイレに行き、朝6時にトイレと水浴びをしました。おなかを壊したのではなく、単なる食べすぎです。最後だからって調子にのって食べ過ぎました。私はこの村と人々、そしてご飯が本当に、本当に大好きです。

 アカ語とは・・・アカ族の言葉です。「こんにちは」と「ありがとう」どっちがどっちだか最後まで混乱。もうあきらめかけていたのですが、やっとのこと最後の最後に覚えられました!アカ族の人々は皆さん陽気で外交的です。このアカ族の人達の陽気さがあったからこそ私はここで2ヶ月もの間楽しく過ごすことができました。ありがとう。
アカ族の方々は私に心の底から笑うこと、楽しく生きることを教えてくれ、ラフ族の方々は私にゆったりと、あたたかく生きることを教えてくれたような気がします。

日本に帰ってきて約半月がたちます。あっという間の半月です。タイで過ごした2ヶ月間は本当に長く、長く、一年ぐらいタイにいたような気がしてなりません。それだけたった二ヶ月間の中で、一年分過ごしたに値するような盛りだくさんの出来事があり、経験をしました。そしてただ今私はタイ キットゥーンです。タイに帰りたいよー・・・。


どうして私は帰ってきてしまったのだろう?と自問自答をする日々です・・。実際もう少し滞在を延長しようかどうか悩みました。でも帰ってきてしまった・・・なぜかというと、一度でいいからあったかいお風呂にゆったりと入らせてー!一度でいいから虫のいないふかふかのお布団で寝させてー!一度でいいからカエルやムカデのいないトイレでゆっくりと用を足させてー!と、そんなくだらない願いを抱いてしまったから・・・。一度でいいからって。でも今ならそんなのどうでもいい。


もう20何年間もあったかいお風呂にはいって、ふかふかのお布団で、虫のいない生活をしてきたんだから。あれだけ恋しく思ったお布団も、お風呂も、トイレも実際日本に帰ってきたら、なんだ、なんにも変わんない、普通じゃん。なんの感動もなかった。それよりも冷たい水浴びが恋しくて、毎日ありんこと格闘していたお部屋が恋しくて、毎日ぐだぐだ言いながらトイレットペーパーを持参していたおトイレが恋しくて・・・。そして一緒に生活をしていたみんなが恋しくて。結論としては、私は日本よりタイの暮らしのほうが合っているんだ!というか・・・タイというか、タイ山岳民族の暮らしが!?食べ物だってそう。あの野菜というか、葉っぱというか・・食物繊維たっぷりで長年の病、便秘も解消されたし、絞めたばかりのブタさんのコラーゲンたっぷりお肉のおかげ!?お肌もよくなったし。


タイに行って健康になった!そして若返った!?そしてなにより自分の心が元気になったこと!そして強くなったこと!今の日本の暮らしからは想像もできない暮らし。ここではなにがあってもおかしくない。たとえば同じことが日本でおきたなら、どうして!?ありえない!?って苦情の電話でも一発いれるような状況、というか社会。でもここではどんなことでもあたりまえ。トイレにドアがないのも許せるし、便座がないのも許すしかない。ご飯に虫が入っているのも許せるし、食べ物でお腹をこわしたってそりゃしかたない。乗ったバスがなかなか目的地に着かないことだって許せるし。どんなことだってあたりまえ。そしてそれでいいんだって笑って許せる。自分の気持ちにゆとりができた。そしてなんだかうつむき加減で生きていたような前の私を、大きな気持ちに変えてくれ、前を向いて歩いていける自信がついた。だからって、いくら大好きだからって今から私が山岳民族になれるわけではないけれど。だからなにかを探していきたい。


タイ語もろくに話せない私になにができるんだろう?でもせっかく出会った文化と暮らし、そして人々。これからも関わっていきたい。学んだこと、感じたこと、そして今の気持ちをいつまでも持ち続け、なにか私にできることをやっていきたい。きっと絶対なにかある!と・・思う・・。


細かいことを言えばきりがないほどいろいろな出来事があり、いろいろな人に出会いました。そして細かいことを言えばきりがないほど・・・山岳民族のいろいろな現実問題を知りました。人身売買、無国籍問題、麻薬、エイズなどなど。そして共に生活をしていた人達のなかにもこの問題を自ら抱え、自ら活動をしている人達もいます。
私が最初にホームステイをさせていただいたあるアカ族の一家もそうでした。両親と小学生の子供2人、2歳ぐらいの男の子の5人家族でした。この家族はこの村の中でも貧しいといわれる家で、その象徴として(?)電気がなく真っ暗な中みんなでご飯を食べました。

そして後にも先にも朝ごはんと夕ご飯、同じものがでてきたのはこの家だけでした。小学生の子供は二人とも障害を抱えていました。上の男の子は詳しくは分からないけれど少し自閉症のような感じがしました。真ん中の女の子は足に障害があります。下の男の子はとりあえずまだ何も障害が出てきていないとのことでしたがこの先はわかりません。そして上の子はこの障害のために小学校から受け入れを拒否されています。なぜ障害をもって生まれてきてしまったの?両親が昔麻薬をしていたからとの答えが返ってきました。そしてある日この両親は今もまだ麻薬をやっているようだと教えられました。そのため両親の体調が悪く朝も寝ているため、真ん中の女の子が下の子を連れて親戚の家までご飯をもらいに行き、それから学校に行っているようだと。この女の子は私の小さなお友達です。この村に行くたびにこの子に会いに行きました。いつも私を見るたびにこりとして、教えた歌を何度も何度も歌ってくれました。私がいない時も歌っていたようで、なぜかお母さんまでこの歌を覚えていてびっくり。この子がこの先どんなふうに成長をしていくのか、どんな人生を送っていくのか、想像しても、想像すらできません。ただ見守ってあげるしか、ただ祈ってあげるしかできません。今まで麻薬問題なんて考えたこともなかったからたいした事は言えないけれど、日本の麻薬はきっとただ悪い人達が金儲けのために、快感を得るためにやっているのだろう。


でもここでは、生きるために、必死に生きているからが故にそうしなければならなかったのだろう。生きるために、自ら悪い方へと進んでいくしかないのでしょうか?心はまったく悪くないのに。心は本当に温かいのに。私は、この一家と出会ったことを忘れません。この子達を見守りたい。必ずまた会いに行きます。

私はまた近いうちにタイに行きます。と言っても予定は未定だけれども・・必ず。会いたい人がたくさんいます。一緒に生活をしていたみんなに。小学校で教えていた子供達に。アカ族の一家に。可愛がっていたラフ族の村にいる子犬に。うるさい鶏や豚に。
ちょっとまっててねー!ドョコ ナ。
過去の記事
第一号:北広島からタイの山岳民族へ :出発前の日記
第二号:北広島からタイの山岳民族へ:山岳地帯に入る前のタイ語学校
第三号:北広島からタイの山岳民族へ:山岳地帯からの報告:体中かゆいかゆいかゆい!!

第四号:北広島からタイの山岳民族へ山岳地帯からの報告 〜私の趣味はかくことです〜

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